鮎屋地区 淡路守護終焉の地を巡る
淡路守護である細川氏が滅亡した最後の地、鮎屋。淡路島最大の鮎屋の滝から上流の大城池まで、美しい渓谷の風景や鮎屋の森の植生を楽しみながら散策します。
さらに、ダム好き必見!鮎屋川ダムの堤体内に潜入します!魅力あふれる鮎屋地区を堪能します。
コース難易度 ★★★
距 離:約6km
主に道路を歩きます
2021年11月21日開催
鮎屋地区さんぽコース
13:10
鮎屋の滝駐車場に集合し、検温、消毒、受付を済ませます。
13:30
13:45
15:00
15:15
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16:00
1. 鮎屋の滝
鮎屋の滝は、洲本市の西端を流れる鮎屋川(延長5,850m)の上流に位置し、落差
が14.5mある淡路島随一の滝です。古くから島民はもとより多くの人に「お滝さん」と呼ばれ親しまれてきました。
流水が岩を打つ響きが滝壺にこだまし、ひんやりとした冷気が身を包みます。夏には
蛍が飛び交い、秋には紅葉が水面に照らし出され、四季折々の自然を楽しむことができます。
お滝さんの横にある石段の途中には、昭和24 年10 月に建立された八大龍王の石
祠があります。八大龍王は法華護法の八龍神のことで、雲雨を自在に配する力を持ち仏法を守護することから、瀧水にちなんで、水を司る神として迎えられました。
2. 大泉寺奥之院
「不動堂」
本尊として不動明王を祀る仏堂で、不動明王像は弘法大使作と伝えられています。
もとは木の祠でしたが、昭和61 年に改築し、平成22 年に新築され現在の姿となりました。
不動堂にはこんな逸話があります。あるとき一人の武士とその供が、神聖なお堂で魚を食べな
がら酒を飲んでどんちゃん騒ぎをしていました。天地が裂けるほどの雷雨となり、武士は命からが
ら逃げだしたそうです。人々はこの話を聞いて仏罰の恐ろしさに震え上がったといわれています。
3.鮎屋川ダム
水不足に悩む鮎屋川の流域(洲本市旧大野村、南あわじ市旧緑町広田)は
取り水紛争が絶えず、昭和3年に上流に大城池を築造しましたが、その後もしば
しば旱魃(かんばつ)による水争いが続きました。
周辺の農業団体は、鮎屋川土地改良区の理事長である矢尾田京兵氏を中
心に、長年にわたりダム建設運動を展開しました。昭和40 年に水田補給・開拓畑地の農業用水・農地防災のための洪水
調節を目的として着工が認められ、昭和42 年定礎、昭和44 年11 月に待望のダムが完成し、農業の基盤が確立されま
した。ダムの傍には水神祠と矢尾田京兵氏の功績を後世に伝える頌徳碑が建立されています。
ダムの堰堤(えんてい)からは、先山や大野一帯が一望できます。
型式 | 直線重力式コンクリートダム |
総貯水量 | 180万トン |
堤高 | 46.2 m |
堤長 | 198.3 m |
4. 大城池
明治・大正期の木戸村や大野村の農村部は、用水が不足しており、水対策に困惑して
いました。明治・大正期には、井戸水用水にたよっている水田では、6㌃に一基ずつ深さ
5.4mの井戸を掘り、1日に400 回以上も水を汲み上げてかんがいしていました。
嘉永3 年(1850)、木戸村に生まれた山口恒雄翁は、上記問題を解決するために、明
治17 年(1884)、農商務卿西郷従道に「水利土功費拝借ノ義」を提出し、大正2 年
(1913)に測量を開始しましたが、広田村の抗議により工事着工は頓挫しました。大正
9 年(1920)、反対を説き伏せ工事を着工し、8 年の歳月をかけ昭和3 年(1928)に
完成しましたが、恒雄翁は、工事の完成を見ることなく大正11 年(1924)に亡くなりま
した。事業は嗣子である聞一氏が父の意思を継承し、完成しました。
溜め池は、「壮大で城郭の如く、また堅固、緻密で大丈夫」であるとの意から「大城
池」と名付けられました。
新村には、父子二代の功績を称え、昭和11年4月に山口恒雄翁の銅像が、昭和35
年4月には、翁像の隣に山口聞一氏の頌徳碑が建立されました。
型式 | 中心刃金式土堰堤 |
総貯水量 | 104万7000トン |
堤高 | 30.6 m |
堤長 | 148 m |
5. 五ノ瀬の祠と忠若丸乳母の供養柱
戦国時代の永正16 年(1519)、淡路を治めていた淡路守護細川尚春が、阿波の三好元
長によって滅ぼされました。『淡島古城記』によると、尚春は阿波で殺害され、三好は軍勢を淡
路に進めます。尚春の子、勝忠は三好を養宜館で迎え撃ちますが、敗退してしまいます。勝忠
は、幼子であった忠若丸を老兵と乳母に託し鮎屋のへ逃がします。しかし、三好の勢いはすさま
じく、鮎屋の五ノ瀬で見つかってしまい殺されました。
この地には小さい墓が3~4基あったとされていますが、安永6 年(1777)に養宜館跡の薬師堂に移したと伝わります。現在の祠は、寛政11 年(1799)に再建され祀れたもので、石工太兵衛の名が刻まれています。昭和60 年に大泉寺の住職により、参詣者の便宜を図るため不動堂の石段の登り口に供養柱を建立し、その側面には五ノ瀬伝説が要約されています。
6. 鮎屋の滝温泉ふれあいの湯
鮎屋川ダムの中には、淡路島では珍しい硫黄成分を含んだ療養泉の源泉があります。
昭和27年頃、鮎屋の滝の畔に、鮎屋温泉「鮎屋荘」が誕生し、「洲本温泉の奥座敷」として利用されていました。源泉地点から1,700m下流の滝まで、竹を連結して温泉を供給していました。しかし、昭和44 年に鮎屋川ダムの築造に伴い、源泉がダム湖底に水没したため、温泉は閉鎖となり、宿も壊されました。
平成21 年にダムの水位が低下したことを機に、地元住民の調査により、当時利用していた温泉設備を探し当てることに成功しました。NPO法人鮎屋の滝ふれあいの郷により、誰もが利用できるように整備され、現在は温泉スタンドで温泉を購入することができます。
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NPO法人 鮎屋の滝ふれあいの郷 鮎屋地区とその周辺に暮らす人々に対して、周辺環境資源の保全および整備をし、これらを最大限に利用した事業を行い、経済活動の活性化を図り、過疎化を回避しつつ、活力ある地域社会の実現に寄与することを目的としています。
主催:洲本市教育委員会 共催:淡路文化史料館