霊験所 鮎屋の滝へ 歴史さんぽ

AIYANOTAKI

パワースポット!音に聞く 鮎屋の滝を訪ねて

清流が轟音を立てながら落ちる淡路島最大の滝から、その上流にある鮎屋川ダムと大城池まで、美しい渓谷の風景や川のせせらぎを楽しみながら散策します。
淡路細川氏終焉のこの地の歴史にも迫ります。

コース難易度 ★★★

標高差:100m未満
距 離:約6km
川沿いの山道や道路を歩きます

2020年11月8日開催

すもと歴史さんぽ

鮎屋の滝 さんぽコース

鮎屋の滝_歴史さんぽ
鮎屋の滝_歴史さんぽ
鮎屋ダム_歴史さんぽ
鮎屋ダム_歴史さんぽ
五ノ瀬の祠_歴史さんぽ
五ノ瀬の祠_歴史さんぽ

鮎屋の滝

13:00 

大泉寺奥之院 不動堂 

13:10 

鮎屋川ダム

13:45

大城池

14:45

五ノ瀬の祠

15:15

鮎屋の滝温泉 ふれあいの湯

15:40

鮎屋の滝 供養柱

16:00

すもと歴史さんぽ

1. 鮎屋の滝

「お滝さん」とよばれ親しまれてきた滝

洲本市の西端を流れる鮎屋川(延長 5850m)の上流に位置する、淡路島随一といわれる滝。落差は14.5mあり、古くから島民はもとより多くの人に「お滝さん」と呼ばれ親しまれてきました。
流水が岩を打つ響きが滝壺にこだまし、冷気が身を包みます。春の新緑や秋の紅葉に照らし出される光景は壮観です。

お滝さんの横にある石段の途中には、昭和24年10月に建立された八大龍王の石祠があります。八大龍王は法華護法の八龍神のことで、雲雨を自在に配する力を持ち仏法を守護することから、瀧水にちなんで水を司る神として迎えられました。

鮎屋の滝
すもと歴史さんぽ

2. 大泉寺奥之院不動堂

本尊不動明王は弘法大師の作との言い伝え

御詠歌 音に聞く 鮎屋の滝を たずね来て 仰ぐほとけの 姿 尊し

かつては、七堂伽羅があったといわれていますが、慶長年間 1598〜1615年の兵火で焼失し、大泉坊・不動坊・滝の三寺が残ったと言われています。寛文5(1665)年に本堂を再建し、元禄9(1695)年には蜂須賀鋼矩より木材を拝領して建立され、本尊は無量寿如来で仏師定朝の作といわれています。昭和38年2月に火災で全焼し、昭和50年に不動堂の下に再建されましたが、平成7年の阪神淡路大震災後に、元の現在の場所に再建されました。

現在の不動堂は平成22年に完成しました。かつての不動坊の名残なのか、本尊不動明王は弘法大師の作と伝えられています。

不動堂にまつわるお話があります。
あるとき一人の武士とその供が、神聖なお堂で魚を食べながら酒を飲んでどんちゃん騒ぎをしていると、天地が裂けるほどの雷雨となり、武士は命からがら逃げ出したそうです。人々はこの話を聞いて仏罰の恐ろしさに震え上がったと云われています。

不動堂

すもと歴史さんぽ

3. 鮎屋川ダム

長年にわたる水取り紛争を終わらせたダム

水不足に悩む鮎屋川の流域(洲本市旧大野村、南あわじ市旧緑町広田)においては、取り水紛争が絶えませんでした昭和3年上流に大城池を築造しましたが、用水は充分とはいえず、その後もしばしば旱魃(かんばつ)による水争いが続きました。

周辺の農業団体は、鮎屋川土地改良区の理事長である矢尾田京兵氏を中心として長年にわたり、強力にダム建設運動を展開し、昭和40年に水田補給・開拓畑地の農業用水・農地防災のための洪水調節を目的として着工が認められ、昭和42年定礎、昭和44年11月待望のダムが完成し、農業の基盤が確立されました。
ダムの傍らには水神祠と矢尾田京兵氏の功績を後世に伝える頌徳碑が建立されています。ダムの堰堤(えんてい)からは、先山や大野一帯が一望できます。

型  式:直線重力式コンクリートダム
総貯水量:180万トン
堤  高:46.2m
堤  長:198.3m

鮎屋川ダム01
すもと歴史さんぽ

4. 大城池

壮大で城郭の如く、また堅固、緻密で丈夫

木戸村や大野村は水利の悪い土地で、鮎屋川の水利権は広田村が所有していたため、溜め池が多くありませんでした。そのため畑の方が多い農村でした。
 嘉永3(1850)年、木戸村に生まれた山口恒雄翁は、上記問題を解決するために、明治17(1884)年、農商務卿西郷従道に「水利土功費拝借ノ義」を提出し、大正2(1913)年に測量を開始しましたが、広田村の抗議により工事着工は頓挫しました。大正9(1920)年、反対を説き伏せ工事着工、8年の歳月をかけ昭和3年(1928)年に完成しました。
恒雄翁は、工事の完成を見ることなく大正11(1924)年に亡くなりました。事業は嗣子である聞一氏が父の意思を継承し、完成しました。溜池は「壮大で城郭の如く、また堅固、緻密で大丈夫」であるとの意から「大城池」と名付けられました。
新村には、父子二代の功績を称え、昭和11年4月に山口恒雄翁の銅像が、昭和35年4月には、翁像の隣に山口聞一氏の頌徳碑が建立されました。

大城池
すもと歴史さんぽ

5. 五ノ瀬の祠と忠若丸乳母の供養柱

淡路古城記より

昭和60年8月

五ノ瀬の祠_歴史さんぽ
すもと歴史さんぽ

6. 鮎屋の滝ふれあいの湯

淡路島唯一の硫黄泉、ダムの底から探しあてた源泉

昭和27年頃、鮎屋の滝の畔に、鮎屋温泉「鮎屋荘」が誕生し、淡路島では珍しい硫黄成分を含んだ療養泉で「洲本温泉の奥座敷」として利用されていました。源泉地点の河川横に専用槽を設置し竹を材料に連結し、1700m下流の滝まで配管を施して温泉を供給していましたが、昭和44年のダムの築造に伴い、源泉がダム湖底に埋没したため、温泉は閉鎖となり、宿も壊されました。

平成21年にダムの水位が低下したことを機に、地元住民の調査により、当時利用していた温泉設備を探し当てることに成功し、NPO法人鮎屋の滝ふれあいの郷により、誰もが利用できるように整備されました。

NPO法人 鮎屋の滝ふれあいの郷
WEBサイト http://aiya.bz-office.net/

鮎屋の滝ふれあいの湯

鮎屋荘 

昭和27年頃
兵庫県鮎屋川土地改良区提供

鮎屋荘
主催:洲本市教育委員会 共催:淡路文化史料館 
協力:NPO法人鮎屋の滝ふれあいの郷・兵庫県鮎屋川土地改良区・炬口住民会・春陽荘・三野畑町内会
   白巣交流推進委員会・洲本市地域おこし協力隊

2020年 歴史さんぽ

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