庚午事変を巡る 歴史さんぽ

洲本城下町絵図
LAST SAMURAI

「最後の侍たち」庚午事変ゆかりの地をめぐる

庚午事変150年特別展関連事業

洲本城下町から学ぶ、幕末の悲劇

コース難易度 ★☆☆
距 離:約4km
平坦な舗装された道を歩きます

2020年11月22日開催

すもと歴史さんぽ

庚午事変を巡る さんぽコース

淡路文化史料館
金天閣
旧益習館庭園
旧益習館庭園
明神社

淡路文化史料館
「庚午事変特別展示」

13:00 

金天閣 

13:40 


旧益習館庭園

14:45

寺町

15:20

淡路文化史料館

16:00

すもと歴史さんぽ

庚午事変ゆかりの地をめぐる
洲本城下町から学ぶ、幕末の悲劇

洲本御殿

庚午事変から150年の時を経た今でも、市街地には当時の町割りがそのまま残っています。開催中の特別展を見学した後、藩主御殿の一部や豪壮な武家庭園など、城下絵図を片手に「最後の侍たち」のゆかりの地をめぐります。

洲本城下町絵図
すもと歴史さんぽ

1. 洲本御殿

藩主蜂須賀氏の御殿、三熊山の裾側には、筆頭家老稲田家の屋敷があり、藩主として家老の屋敷が併設されていました。
明治時代に入り御殿は取り壊されましたが、石垣や塀の一部は現存しており、洲本城(下の城)として市史跡に指定されています。

洲本市立淡路文化史料館

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2. 文武館

徳島藩の藩校。もとは洲本学問所として新蔵町にあったが、明治時代に入りこの地に移った。

庚午事変時は、文武館に農兵800人が集められ、銃卒大隊長上田甚五右衛門や各司令隊長指揮の下、襲撃が開始されました。

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3. 金天閣

寛永18年(1641年)に徳島藩主蜂須賀忠英が三熊山山麓の洲本城内に建てた洲本御殿の一部。

洲本御殿が取り壊される際に、この玄関と書院だけが移築され残った。江戸初期の御殿建築は非常に貴重で、兵庫県の文化財に指定されている。

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4. 千石町

この通りには、徳島藩士の屋敷が6軒あり、それらの藩士の石高を足すと千石になるため、千石町と呼ばれた。
ここには、庚午事変の脱帰者である平瀬伊右衛門や上田甚五右衛門らの屋敷が並んでいた。

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5. 稲基神社

厳島神社境内にある稲田家のゆかりの神社。もともとは、宇山武山邸の奥にあった。明治3(1870)年3月11日には、神社で稲田家家臣団の結束を誓い、血判祭文を作成している。船山馨の「お登勢」の碑もある。

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6. 下屋敷筋

外町地区の一角で、稲田家臣の屋敷が並んでいた。特に南の曲田山側の屋敷には、屋敷ごとに庭園が築かれており、現在も江戸期に起源をもつ庭が数庭残っている。

庚午事変時は、特に襲撃されており、被害が最も多かった場所である。

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7. 益習館

旧益習館庭園
2019年2月26日に淡路島の庭園としては初の
日本国の名勝に指定

外町地区造成の際の石切場で、外町完成後には、稲田家の別荘「西荘」が築かれた。嘉永7年(1854)に、稲田家の学問所をこの地に移し「益習館」と称された。庚午事変で襲撃され、建物は焼失した。

庭園は往時の姿を留めており、国の名勝に指定されている。

史跡名勝天然記念物 国指定名勝旧益習館
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8. 三田昇馬

稲田家家臣三田昇馬の屋敷跡。三田は、稲田家の分藩独立を主導した重臣の一人で、藩士から稲田側の首謀者として位置づけられていた人物である。

庚午事変後は、大坂に移り、後に司法省に出仕、最後は貴族院議員にまでなった。

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9. 専称寺

浄土宗の寺。寛永8年(1631)の由良引けにより、馬場町に移り、延宝元年(1673)に現在の地に移った。
蜂須賀茂韶が書いた「庚午志士之碑」がある。また脱帰者で切腹となった平瀬伊右衛門の墓がある。

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10. 遍照院

真言宗の寺。大正5年に地蔵寺と青蓮寺が合併し遍照院となった。地蔵寺は由良から、青蓮寺は先山から移った。ここには、脱帰者で切腹となった大村純安の墓がある。

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11. 江国寺

禅宗の寺。由良引けによりこの地に移った。本堂は元禄8年(1695)に再建されたものと伝わる。

江国寺は稲田家の菩提寺で、稲田家初代、2代、4代以外の歴代当主の墓がある。庚午事変の稲田側の犠牲者を供養した「招魂碑」、上田甚五右衛門の墓もある。

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12. 大村純道邸

徳島藩の藩医。息子に大村純安、鹿島秀麿らがおり、大村純安は、脱帰者のひとりで切腹となった。
鹿島秀麿は、明治になり神戸区より兵庫県会議員、衆議院議員を務めた。東向かいには、庚午事変時の徳島県権大参事の星合常恕宅がある。

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13. 農人橋

外堀の北側に農人橋と呼ばれる橋が架かっていた。内町側には会所(今の役所のこと)があった。四丁目桝形の土橋とは異なり、板橋が架かっており、有事の際には橋が落とされるようになっていた。

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14. 明神社

創立年は不明だが、稲田氏により厚く崇拝された。境内には、淡路最大の百姓一揆「天明の縄騒動」の引き金となた商人吉見平六が寄進した燈籠がある。
現在は、洲本神社として親しまれている。

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15. 稲田家向屋敷

徳島藩筆頭家老稲田家の向屋敷。稲田家は、淡路と徳島の脇町に1万4500石もの所領を有し、幕末には2000人以上の家臣を抱えていた。
蜂須賀正勝からの特別な主従関係により異例の厚遇を得たが、それが藩士との軋轢を生んだ。

主催:洲本市教育委員会 共催:淡路文化史料館 
協力:NPO法人鮎屋の滝ふれあいの郷・兵庫県鮎屋川土地改良区・炬口住民会・春陽荘・三野畑町内会
   白巣交流推進委員会・洲本市地域おこし協力隊

2020年 歴史さんぽ

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