史料館前庭の屋外には、自然庭園を中心に岩野泡鳴、高田蝶衣などの文学碑、道標、洲本城や由良城の石垣の刻印石などを展示しています。
文学碑
奥田雀草の句碑
土の香 波の香
こころで 立つ ふるさと
雀七十八叟
俳人雀草(1899~1988)は、淡路島遠田村(現在淡路市)出身で、口語俳句の道を進み、俳誌『高原』を創刊するとともに、俳画をよくした。この句は78歳の時の作。
句碑は、雀草の教えをうけた神戸の松下ふじゑ氏が、自分の骨を埋める第二のふるさと洲本に建立したもの。
岩野泡鳴の詩碑
故郷の秋 岩野泡鳴
みやこ遠く立ちいで 帰り来てしふるさと
ふるきことの思ひで 爰に忍ぶ 橋あと。
嘗ッて千鳥にさそわれ いづる月のちらちら。
むねも散りし小ながれ いまに残る木ばしら
自然主義文学五大作家の一人である泡鳴(岩野美衛)は、明治6年(1873)に洲本で生まれた。岩野家は代々阿波蜂須賀家の江戸詰直参であったが、泡鳴の祖父のときに淡路へ移住した。14歳まで家族と共に洲本で過ごした泡鳴は、日進小学校(現在の洲本第二小学校)を卒業した。
この詩碑は、泡鳴生誕110年にあたり泡鳴の三男岩野眞雄氏が来館されたのを機に建立した。碑の原字は『岩野泡鳴論』などの著者である伴悦氏がかかれたものである。
高田蝶衣の句碑
蝶衣
窓あけて見ゆるかぎりの春惜しむ
俳人蝶衣(1886~1930)は、淡路島釜口(現在の淡路市)の出身。旧制洲本中学在学中は、この近くに下宿。上京して早稲田大学に学び、『中央公論』や『ホトトギス』の選者となった。
この句碑は、淡路交通旧宇山駅に建てられていたが、同社社長のご好意により、昭和57年6月史料館に移された。
直原玉青の句碑
御堀まで御門筋とて蜻蛉とぶ
米寿 玉青
玉青(1904生)は、幼少年時代を洲本市ですごし、後に大阪に出て南画を学ぶ。帝展や日展にたびたびし入選したほか、日本南画院の創立に参加。少年の頃より俳句に親しみ、ホトトギス派の俳人としても知られる。句画禅一如を追求し、平成17年101歳で逝去。洲本市名誉市民。
この句碑は、氏の米寿を記念して洲本市が建立した。